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諏訪栄&小島剛石 

小島剛夕先生は、昭和3年(1928年)11月3日(手塚治虫先生と同じ年月日)に三重県四日市市に生まれました。昭和25年に故郷を後に上京し、まず紙芝居作家となります。映画の看板なども手がけていたようです。やがて昭和33年頃から貸本用単行本で活躍するようになります。「小島剛夕」はペンネームのような名前ですが本名です。(読みは「こじまごうせき」)

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別冊おもしろブック  明月さった峠
隠密秘帖 明月さった峠 【高垣眸・作 小島剛夕・え】
集英社 昭和31年7月15日発行 別冊おもしろブック・第1号
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貸本作家として活躍する前に「おもしろブック」、「幼年ブック」、「少年クラブ」などの月刊誌に絵物語を掲載していました。この頃の絵柄を見るとまさにチャンバラ時代劇で、東映のスターなどの面影に似た登場人物が活躍しています。この頃は月刊誌にも「小島剛夕」として作品を発表していましたが、やがて貸本界のドル箱的存在となり、ひばり書房と専属契約を結んだのです。

貸本単行本の世界で一世を風靡しましたが、やがて貸本業界も時代の流れで衰退して行き、剛夕先生のもとへコミック誌などから誘いの手が伸びるようになりました。当然専属の身ですから他社に掲載することはおおっぴらにはできません。



私も現役時代講談社と専属契約を結んでいました。そんな大げさではありませんが一応契約書なるものがあり、他社に作品を載せてはいけない旨、明記してありました。契約金として、毎月いくらか振り込まれていたと記憶しています。


専属というしがらみの中で生まれたのが「諏訪栄」というペンネームです。故郷の四日市に諏訪神社という大社があり自分を育み育ててくれた故郷への愛着から「諏訪がいつまでも栄えるように・・・。」そんな思いからうまれたペンネームだそうです。

「小島剛夕」名義で発行された『片目柳生』(翔泳社/1995年4月10日発行)から「ペンネーム・諏訪栄のこと」を参考にしました。なお、『片目柳生』は少年サンデーに昭和42年12月3日~昭和43年1月1、8日合併号)掲載され、昭和43年8月10日に小学館・ゴールデンコミックスとして単行本化されました。当時のペンネームは「諏訪栄」です。)

ところで貸本時代の初期の頃の単行本にときどき『小島剛石』という名前を見かけます。表紙が『小島剛石』でも本文は『小島剛夕』だったり、かなり混乱した使い方をしています。一時、この名前も専属がらみで出版社に遠慮してつけられた名前かと想像したこともあったのですが、「小島剛夕の世界」をご覧いただいた剛夕先生のご家族から下記のような内容のメールをいただきました。


『剛石』には深い意味はなく、単なる誤植だそうです。昔は出版社も画家のほうも、殺人的なスケジュールで細かいことはどうでもいい、なんとかなるという、よくいえばおおらか、実はいいかげん?という修羅場状態が日常的で、「小島紡績」(ボウセキ=ゴウセキ!?)宛ての書類なども来たそうです。専属がらみでペンネームにしたのは、「諏訪栄」だけということでした。


掲載誌、作品数共に最高の年は昭和43年でしょうか。貸本時代に描いた作品の数々がリメイクされて青年誌に登場します。先日ご紹介した『おぼろ十忍帖』もそうです。そして昭和45年9月、遂に不朽の名作『子連れ狼』が登場します。


『子連れ狼』以後、作品(リメイクは除く)は殆ど原作付になります。平成12年1月5日71歳で亡くなられるまで残した作品は膨大な数に上ります。まだまだ掘り起こしていない作品も含めれば探求も気が遠くなりますが、終わりの無い旅もなかなかいいものだと思うようになりました。

閑話 | TB(0) | CM(0) [ 2007/02/28 18:08 ]
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Author:風かをる
その旅は昔々店じまいをした貸本屋さんから譲っていただいた数冊の「長篇大ロマン」から始まりました。
小島剛夕作品に魅せられてン十年。果てしない探求の旅が続いています。

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