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【連載第4回】 B6判 「隠密黒妖伝」  

(解題)
ひばり書房発行。 本編128ページ。 「ひばりの漫画全集」第387巻として昭和33(1958)年12月頃に出版された。 今もなお「ウィキペディア」など一部の誤った記述では小島剛夕のデビュー作とされている作品。 公儀隠密風早隼人が倒幕を企てる尾張藩の野心を打ち砕く痛快編。 前半の江戸でのお話にページ数を割き過ぎた感があり、そのため後半の終わりでのクライマックスが舌足らずに終わった印象を拭えない。 悪人たちの最後があっけなくて残念である。

(補足/by風かをる)
1980年、集英社から『まんが劇画ゼミ』いう書籍が発行されています。 (企画・編集:手塚治虫・尾崎秀樹・副田義也) その第7巻(全8巻)に横山光輝、ジョージ秋山両先生と一緒に小島剛夕先生についての諸々が掲載されています。

文章を読むと先生自ら原稿をお書きになられたというより、インタビューからの書き起こしかなと感じる部分が多々あります。 原稿を書く場合は、推敲・校正という作業が重要です。 しかし、インタビューを受けて話していくときには時代が行ったり来たりしますし、細かい年月日には記憶違いもあるでしょう。 また、音で聞いているので誤字・脱字も出てくると思います。 (「おぼろ十忍帖」が「おぼろ十人帖」になっているのが気になりました。)

剛夕先生が紙芝居時代を経て少年誌に絵物語を描き始めたという件では、昭和28年に集英社からの依頼で『はやぶさ剣士』(おもしろブック)をお描きになったという話が出てきます。 ところが実際におもしろブックに『はやぶさ剣士』が連載されたのは昭和31年6月号からです。 その後に「少年物は性に合わなかった。」という理由で貸本出版社からの依頼を受けて単行本を書き始め、『隠密黒妖伝』を苦労して描き上げ、これが本格的な劇画のデビュー作となった。と、続きます。 この『隠密黒妖伝』は昭和32年3月に発表したという詳細な記述もあります。

「ウィキペディア」などの『隠密黒妖伝』が小島剛夕の長編漫画デビュー作であるという記載は、案外この本がソースになっているのかもしれません。 剛夕先生に細かい年代の思い違いがあってもお話(インタビュー)の中では流れて行ってしまいます。 それがそのまま文章になってしまい、今でも確実性の高い資料として使われているのではないでしょうか。 興味深いお話やなるほどと合点がいくこともたくさんあるだけに、細かい年代や肝心なデビュー作をもう少しきちんとお調べいただいていたら、と残念に思います。


※「あらすじ」は<続きを読む>クリック

隠密黒妖伝・表紙 隠密黒妖伝・扉絵 隠密黒妖伝・P3

隠密黒妖伝・P24 隠密黒妖伝・P25 隠密黒妖伝・P87




(あらすじ)
八代将軍吉宗の治世。 公儀隠密風早隼人は、ある夜、瀕死の侍から「黒城巻 風」と題された巻物を預かるが、そのために黒城一族名乗る謎の集団から命を狙われることになった。 中でも、一族の長で、頭上にみみずくを従え円月剣というブーメランを使う老人は非常に手強く、隼人を度々窮地に陥れる。

黒城一族とは尾張の恵那山中に住む山窩(サンカ)で、彼らが取り戻そうとしている「黒城巻」とは、恵那山中に作り上げた城塞の見取り図だった。 将軍直々の命により、隼人は尾張藩の動向を探る旅に出る。 藩主宗春は、城代家老に唆されて幕府転覆の野望を抱いていた。 黒城一族は野望成就のための手先であったのだ。
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風かをる

Author:風かをる
その旅は昔々店じまいをした貸本屋さんから譲っていただいた数冊の「長編大ロマン」から始まりました。
小島剛夕作品に魅せられてン十年。果てしない探求の旅が続いています。

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