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復刻作品【おぼろ忍抄】、【片目柳生】  

増刊ヤングキングBULL2月号『斬鬼』に【おぼろ忍抄(里がくれ)】が復刻掲載されました。 1月号の「桐一葉」に続くおぼろ忍抄シリーズです。 「里がくれ」は初出の漫画アクションでは三回に分けて発表されていますが、『斬鬼』では二回に分けての掲載になるようです。 【おぼろ忍抄】は単行本化されていません。 まとめて掲載されたのは総集編(昭和44年発行 漫画アクション・コミックス⑨)のみですからこの機会にぜひお読みください。

もう一件は『漫画 時代劇/Vol.21』掲載の【片目柳生】の完結編(日の一の術)です。 無事に完結し、安心しました。 なお、【片目柳生】に関してはこちらの風かをるの補足も参考にしてください。 

今後も【木枯し紋次郎】、【孤剣の狼】等、剛夕作品の復刻が予定されているようです。 原稿の保存管理の面から、貸本時代の復刻は難しいと思いますが、雑誌掲載作品の中でも単行本化されていないような作品にもスポットライトを当てていただきたいと願っています。

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増刊ヤングキングBULL2月号『斬鬼』 【おぼろ忍抄/里がくれ】

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『漫画 時代劇/Vol.21』 【片目柳生】

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探求日誌 | TB(0) | CM(0) [ 2020/01/28 16:41 ]

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昭和漫画館・館長 高野行央さんを偲んで。 

「昭和漫画館青虫」がまだ「漫画図書館青虫」という名称だったころ、「貸本研究史」のBBSで話題になっていたことがありました。 そこで「漫画図書館青虫」という名前を知りました。 その後、まもなくして今は亡きマンチュウ様より、「漫画図書館青虫」に立ち寄られた旨のメールをいただきました。 同時に風かをるが当時まだ所蔵していなかった『怪談・オール怪談』掲載の剛夕作品の画像とあらすじ等を送っていただいたのです。 画像の掲載は高野館長が快諾してくださり、サイトの作品リストがかなり充実したものになりました。 

マンチュウ様のメールに大いに刺激され、ピノコさんを巻き込んで「漫画図書館青虫」行きの計画を立てはじめたのが2007年6月上旬のことでした。 7月に入り旅館の予約も済ませ、いざ出陣!・・・そんなときに起こったのが7月16日の「新潟中越沖地震」です。 我が家の菩提寺は新潟は柏崎にありました。 2004年の中越地震で被害はあったものの何とか持ちこたえ、復興の途中でした。 二度目の地震でほぼ全壊、墓石も倒壊という甚大な被害を受けてしまったのです。 やむなく旅館をキャンセルし、「青虫」行きは延期となってしまいました。 

もちろん、あきらめたわけではなく、翌年満を持して再挑戦しました。 前回の計画時にはまだ館長の高野さんとは連絡を取り合う前でした。 初めて高野館長にメールしたのは2008年6月30日のことでした。 そこから青虫行きの7月29日まで高野館長と何度もメールのやり取りをしました。 

ほんの些細な質問にも誠実に丁寧な返信をくださった高野館長。 そのメールのレスポンスの早いことと言ったら! まるでメールでチャットをしているような感じで返信が来たものです。 今ではよくこんな質問をしたものだというような内容もありました。(汗)

ピノコさんと風かをるの都合に合わせて閉館日でも気持ちよく開館していただき、時間延長までお聞き入れいただきました。 おまけに到着時間に合わせて車で迎えに来てくださったのです。

マンチュウ様から高野館長との記念写真をいただいていましたのでなんとなく雰囲気はわかっていました。 只見駅について、さて高野館長は・・・きょろきょろとあたりを見回しました。 そのとき、迷わずまっすぐに風かをるのところまで歩み寄ってきて声をかけてくださったのが高野館長でした。 列車から降り立った客は二人だけではなかったのに、どうして迷わず二人に向かってきたのか謎です。(でも嬉しかった♪)

夢見心地の一泊二日でした。 青虫から帰宅後、まずはサイトの相互リンクをしていただきました。 そして間もなく高野館長から「漫画図書館青虫」を改名する予定との連絡が来たのです。 良い案があったら提供してほしいとの相談もありました。 ピノコさんと無い知恵を絞って何点かお送りもしました。 最終的には高野館長が「昭和漫画館青虫」と命名されました。

名称が決まるまで、メールだけではなく手紙のやり取りもしました。 そのたびに、高野館長の漫画愛というか、純粋で真摯な姿勢に心打たれてきた風かをるです。 それにしてもたった一度お伺いしただけなのに館名改称に立ち会えたなんて感動ものでした。

ほんのわずかの間、漫画家として過ごしていただけの風かをるにまじめにサイン色紙が欲しかったとおっしゃっていただき、とても嬉しかったです。 それではと、サインを入れた『平均台のビーナス』と現役時代に描いた大きなイラストを送らせていただきました。 その旨をお知らせすると、 とても喜んでくださって、「風さんのサイン本とイラストを送ってくれるなんて、びっくりです。 嬉しくて、到着するのが待ち遠しいです。 ポストの前に立っているわけにもいかないし、どうしよう。」とメールが来ましたっけ。

館名変更を記念してポストカードを作成された時も風かをるの『平均台のビーナス』の表紙絵を入れてくださいました。 その時に、剛夕先生の画像も使用したいということで先生のお嬢様に連絡し、了解をいただけたことも喜んでいただきました。 何につけてもまじめにきちんと手順を踏む本当に品行方正が洋服を着て歩いているような方でした。

実はこのころ(2008年10月)、「千葉に青虫と同じような貸本漫画や昭和のポスターをたくさん公開している人がいると聞きましたが、ご存知でしょうか。」という質問をいただきました。 さっそく調べたところ以下の場所が見つかりました。
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【日本漫画資料館】

〒275-0025千葉県習志野市秋津3-2-1-4 清水勲方,0474-54-6420
京葉線習志野駅下車、徒歩12分。 
総武線津田沼駅からバスで秋津小学校前下車、徒歩1分,
清水勲氏の自宅の蔵書を資料館として公開。
蔵書約2万点、関連資料約200万点。幕末から平成まであらゆるマンガ関係の資料がある。

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「高野館長が行かれるようなら、ご一緒させてください。」と具体的な話になったのですが、残念ながらここの資料の大部分は京都国際マンガミュージアムに送ってしまったということでした。 高野館長は京都国際マンガミュージアムには行かれていて、清水コレクションもご存知でした。 資料が中心で漫画本はほとんどないとのことでこの計画は中止になりました。

メールのやり取りの中では冬場の積雪対策や青虫閉館時のアルバイトなどの話もありました。 確かに青虫は足の便があまりよくなく日程を組むのに悩むところもありますし、冬は雪のため閉館を余儀なくされます。 風かをるが心配するメールを送ったりすると「冗談で、閉館しちゃうかもなんていいましたが、私の本当の気持ちは、自分の身体が動く限り、どんなに来館者が少なく、採算が合わなくても、なんとか頑張って、青虫を続けて行きたいと思っています。」とすぐに返事がきました。

その後、2011年3月11日の東北大震災、夏の豪雨と青虫たちに試練が襲い掛かりました。 大震災の後の豪雨がなければ再度の青虫行きが実行されていたはずでした。

2016年、高野館長から10周年記念の絵葉書セットが送られてきました。 それまでは年賀状、暑中見舞いと年2回の挨拶状のやり取りが続いていました。 風かをるの両親の介護があったり、三人の子供たちの結婚、孫の誕生・・・と、青虫を心の隅に置きながら日常生活の忙しさに流されていた時期でした。

それでも几帳面に届く高野館長からのはがきを見ながら「いつか」を心に秘めていました。 そんな中、えりのあ様からの寒中見舞いで高野館長が亡くなられたことを知ったのです。 以前にも同じ感覚に陥ったことがありました。 そう、マンチュウ様が亡くなられたという知らせを受け取ったときです。 胸の真ん中がツキーンと痛んで一瞬頭の中が空っぽになったような感覚です。

高野館長が亡くなられて初めて二度目の青虫行きが実行できなかったことを後悔しました。 幸い「昭和漫画館青虫」は奥様が続けられるとのこと。 高野館長を偲ぶためにももう一度青虫に逢いに行きたいと考え始めている風かをるです。

高野行央館長、お疲れ様でした!

~とりとめのない思い出話、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
閑話 | TB(0) | CM(8) [ 2020/01/19 10:19 ]

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【連載第37回】小島剛夕長篇大ロマン25 折鶴影法師 

25 折鶴影法師

(解題)
つばめ出版発行。 本編157ページ。 昭和38(1963)年7月頃に出版された。 『書籍雑誌卸月報』では6月の出版予定になっている。 関白・豊臣秀次に許婚を奪われた男の復讐劇を、時に激しく時に甘く緩急を付けて描いた一作。 この作品は後に小島自身によってリメイクされ、『別冊漫画アクション』昭和44(1969)年3月号と4月号に掲載された。

(あらすじ)
漁師の又四郎と美しい娘・鶴は、将来を誓い合った仲であった。 だが、鶴が関白・豊臣秀次に偶然見初められたために、秀次の家臣達の策謀によって、又四郎と鶴の仲は引き裂かれてしまった。 又四郎は鶴を取り戻そうと秀次を襲うが、運なく取り押さえられ、絶海の孤島鬼影島へ流刑に処せられる。 鬼影島の牢内で、又四郎は元伊賀の忍者・黒阿弥と出会い、彼から兵法や忍術の極意を授かる。 鶴と再び会いたいという執念が又四郎に生きる力を与えた。 黒阿弥が作った伊賀忍法仮死の秘薬「反魂湯」を飲んで、又四郎は鬼影島からの脱出に挑む。

(補足/by風かをる)
この作品は、「忍者影法師」(ひばりコミックス/昭和42年3月1日)と改題し再発行されています。 A5判から新書判に「判」を変更、装丁(表紙絵)も題名も『長篇大ロマン』を意識しないものに変更されたのではないかと思われます。

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明けましておめでとうございます。 

令和になって初めてのお正月を迎えました。 明後日1月5日は剛夕先生の祥月命日です。 先生の残された数々の作品に想いを馳せながらサイトの充実に努めたいと心を新たにしています。 亀の歩みかもしれませんが確実に一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

※サイトのトップアクション、更新いたしました。
閑話 | TB(0) | CM(0) [ 2020/01/03 10:59 ]
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 プロフィール

風かをる

Author:風かをる
その旅は昔々店じまいをした貸本屋さんから譲っていただいた数冊の「長篇大ロマン」から始まりました。
小島剛夕作品に魅せられてン十年。果てしない探求の旅が続いています。

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